2019年2月26日火曜日

認知症:社会問題 v.s. 個人問題?

一昨日の記事《『認知症フレンドリー社会』これがキーワード!》を書きながら考えたことがある。「認知症フレンドリー社会」という考え方は正しいと思うし、とても良いことだと思う。世の中がこういう方向に進んでくれることを願う。

ところが一方で、仮にこういう世の中になったとしても、残念ながら、私の母の助けにはほとんどならないだろう、とも思った。


現在の母の置かれている状況の改善、あるいは問題の解決に、「認知症フレンドリー社会」の実現は直接の答えにはなりそうもない。

一つには、高齢であるため、通院や買い物以外には、ほとんど出歩くことがないことがある。しかも、その外出には必ず家族が付いている。恵まれているとも言えるが、家族の負担が大きいとも言える。

もう一つは、本人の性格からして、知らない人と一緒に何かを楽しむといったことが、それほど好きではないということもある。デイサービスのようなところには行きたくないと言っている。社会が変わっても、そこに参加する可能性は低い。


認知症の問題というのは、社会問題として捉えることもできるし、そういう視点からのアプローチはとても重要だと思う。一方で、それは極めて個人的な、あるいは個別の家族の問題でもあって、それを解決するには個別のアプローチによるしかないのではないかとも思う。

もちろん、「認知症フレンドリー社会」というのは、個人あるいは家族にとって、問題解決のための環境整備だとか解決策の選択肢が広がるとか、間接的な助けにはなると思うのだが…。


どうも「認知症問題」というのは、社会問題でもあり、医療問題でもあり、個人の生き方や家族のあり方が問われる問題でもあり…。とても多くの要素が関係しているようだ。

個人としての私にとって一番欲しいものは、今目の前にある問題に対する最高の解決方法なのだが…。


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