終活の準備のつもりで『変わるお葬式、消えるお墓 (高齢社会の手引き)』という本を読んでいる。色々と知らないことが書いてあって、考えるためのメモ書きを作ろうと思っている。
…のだが、その前に、「なぜそう考えるのか?」という、私の「死生観」のようなものを自分なりに整理しなくては…と思った。…ので、以下思いつくままのメモ。
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まず、私の身体(を構成する物質)は私の所有物とは思っていない。生きている間、大自然の一部を借りている、しかも、日々刻々と入れ替わって(代謝して)いる。
なので、死後は大自然に戻るのが一番いいと考えている。地球上の限りある物質は効果的に循環すべきだと思う。
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死後の「魂」のようなものはあまり信じていない。
「身体と精神」みたいなことはあると思うのだが、その「精神」は「身体」に支えられ、そこに宿っているので、身体が無くなったあとに精神だけ残るとは思えない。
ただ、残された家族等の心の中にある「記憶」「イメージ」や「思い」は大事なものだ。そういう文脈で、「魂」のようなものを信じることはあっていい。
…というか、例えば、私の死んだ父の「魂」のようなものの存在は、心のどこかで感じている。でも、それはたぶん、私自身の「思い」でしかない。それでいいと思う。
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葬式や墓について、基本的には、残された家族やその後の世代にかける負担を限りなく小さくしたい…と考えている。
なので、葬式や法事は最小限の儀式だけでいい。戒名なども要らない。
お墓もなくていい。いずれ忘れ去られる人間のお墓のために、限りある土地資源を使うのはどうかと思う。死んだ人の数は増えていく一方で減ることはないのだし…。
しかも、子孫代々(続いていれば…)管理していく必要があるし、管理する人がいなくなったらその墓の処分でまた手間やお金がかかる。言わば「負の遺産」になる。
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…と、書いてみると大したことは考えてないようだ…(^^;)。
具体的にどういうやり方があるか?…については今読んでいる本などでこれから調べていこうと思っている。
葬式や墓については、「常識」だと思っていたことが、実は明治時代後半くらいから始まったことや、高度成長時代に色々と追加(粉飾)されたことも、この本(↓)に書いてある。
今一度、自分はどうしたいのか、どうしてもらいたいのか、自分の気持ちに合う一番簡素なやり方にはどんな選択肢があるのか…色々と調べ、考えてみたい。
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