2026年3月13日金曜日

本『なぜヒトだけが幸せになれないのか』→「遺伝子と環境の不適合」?

「幸せ」と「遺伝子」「生物学」という取り合せが面白そうだと思って読んだ本(↓)、なるほどと思うことが多かった。


読み始めて気がついたのだが、昨年も同じ著者の本を読んで、感心していた(↓)♪


📗生物はなぜ死ぬのか(小林武彦 著)




以下、私なりに理解したことを簡単にまとめてみたい。


まず、この本では「幸せ」を「死からの距離が保てている状態」と定義している。その「距離」を増大させる原動力は「生存本能と生殖本能」(生物の生きるモチベーション)である。

それに加えて、ヒトならではの本能(遺伝子に刻まれているもの)として次の二つが挙げられる。

①「協力できる能力」:ヒトが、身体能力がとくに優れている訳でもないのに生き延びることができたのは、この能力が大きかったから。助け合いながら生きるための共同体を形成したことが大きい。

②「ベター志向」:ヒトは身体的な「幸せ」(健康的な生活を送ること)だけに満足することなく「ベター」を求める。


ところが、①②をもとにして様々な問題も発生する。

①の共同体については、その中で「(他人と)比べるのが得意」になり、集団の中での評価や分け前の「不公平感(相対評価)に敏感」になった。これが、現在の「幸せ」になりにくさにつながっている。

集団の中での自分の評価を気にするのは、評価(集団での貢献度)が自分が得られる「分け前」に影響するから。そして、仲間はずれにされると生きていけない。

さらに、狩猟中心の移動生活から農耕牧畜の定住生活に変わり、財産(備蓄)ができるようになり、格差が生まれた。それによりコミュニティが希薄化し、共同体での「貢献→分け前→幸せ」の構図が崩れていった…という問題もある。


②の「ベター志向」の問題点は、ベターなもの(より快楽が得られるもの、より便利なもの)を作り出すことは出来る(遺伝子に刻まれている)のだが、その「使い方」は遺伝子に刻まれていないことに起因する。

そのため、中毒になったり誤った使い方をしてしまう、結果的に死からの距離を縮めてしまう、つまり「幸せ」からは遠ざかってしまうことになる。

ダイナマイト、核、SNS、スマホ、食品添加物、…。


最大の不幸の一つは「戦争」におけるテクノロジーの誤った使い方である。

実は、戦争をやめられない人類というのも、ヒトが進化の結果獲得した遺伝子の影響である。その根底には、共同体の外に対しては不正義への怒り、内に対しては所属する集団への忠誠などがある。

ただ、原始以前の時代と決定的に異なる点は、その規模の大きさ。一つの兵器で多くの命が犠牲になり、制御不能となれば人類滅亡の可能性さえある…。


俯瞰的に見れば、ヒトが幸せになれない原因は「遺伝子と環境の不適合」である。

つまり、数千年のスパン(狩猟採取〜農耕牧畜〜最近の近代化)で見ると、ヒトの遺伝子はまったく変化していないのだが、一方でテクノロジーは、ここ数百年で飛躍的に進歩し、社会構造や生活様式も劇的に変化している。

その不整合が「ヒトが幸せになれない」様々な要因を生み出している。

新しいもの(テクノロジー)が大好きで、使い方もよく知らない「原始人(遺伝子レベルで…)」が、新しい「おもちゃ」(テクノロジー)を使いたくてたまらない。その結果、色んな「不幸」のタネを次々と生み出している。…ということ?


さらに、ヒトは個人主義(一人で生きること)に耐えられる生きものではなく、そんな能力も強さも持っていない。集団で助け合って、やっと生きてこられた…というのが実態。

そのコミュニティが機能しなくなり、崩壊寸前になっているのが現代。逆にいうと、ヒトは自分たちの「心と体に合わない社会」を営々と努力して作ってきた(必要な「共同体」を破壊してきた)…のかも知れない。


著者は、その解決策として二つの案を挙げている。

一つは「自然回帰」。つまり、昔の状態に戻るという案。ただ、これはほぼ不可能と言ってよいだろう。

もう一つは、「テクノロジーを正しく使い、現代風にアレンジした地域コミュニティを復活させ、安心して暮らせる日常を取り戻し、現代人の多くが遭遇する過度なストレスや高齢になったときの老化症状を緩和して、死からの距離を大きくする」という案。

テクノロジーを正しく(ヒトの幸せを増大する方向に)使い、ヒトの遺伝子と整合性のある社会を作り直す…という案だが、これも相当に実現性が低そうだ…😥。


社会の変革といった壮大な(かつ、自分ではどうしようもない?)解決策は一旦置くとして、個人レベルで出来ることはないのか?…という問いに対する答えのようなもの?も一応用意してある。

一つの安心材料(気休め?)は「老年的超越」というものである、これは 1989年にスウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが唱えた説で、「85歳以上の高齢者が持つ(超越した?)心理状態」を指すようだ。

「死に近づいているにも関わらず、自己肯定的で他者に対する感謝や利他的な精神にあふれており、効率・競争・利益などの世俗的な欲望からも解放される…」みたいな「幸せ」な境地…らしい。でも、全員がそうなるという保証は…(^^;)?


それと、そこに至るまではどうするか?…という問題の方が大きい。

著者の回答は、その心境に達するまでは「何か好きなことに没頭し、あるいは成長や目標のために努力し、ベターを目指すこと」、つまり、遺伝子に忠実に生きること…なのだそうだ。

目標に向かって努力しているうちは幸せになれるが、目標を達成するとその「幸せ」は消えるので、次の目標を持つ必要がある…。

人類全体で見ると、その(壮大な)目標として「宇宙の解明」「賢くなること」「不老不死」などがあるそうだが、個人で頑張れるものでもなさそうだ。


ちなみに、オンライン・コミュニティも、現代の「共同体」という考え方もありそうだが、著者はどちらかというと否定的なようだ。

私は、SNSやオンラインによるコミュニケーション、『いいね』による肯定感や多くの人とつながっている連帯感は、ほとんど錯覚だと思っています。つまり自分が感じているほど、相手はしっかりと受け止めていないし、印象にも残っていない

「サイバー空間」で得られる「快適さ」「快楽」「承認」などは「錯覚」であり「不毛」である…と手厳しい…(^^;)。

さらに、「AI やサイバー空間の維持に使う膨大な電力」という問題も指摘している。


…さて、では自分としては何が出来るのか?

ヒントは「好きなことに没頭する」「目標を持つ」「成長を目指す」ことであるが、80代になる前に少しでも早く「老年的超越」の境地になる(ための修行?をする)ということもあり…(^^;)?

現実解としては、趣味の「けん玉」と「ピアノ」にもっと入れ込む?…あるいは、目標を設定して成長を目指す…ということかな?



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